北浜の元証券街。この町を東西に貫く土佐堀通り沿いにギャラリー大井が有る。創業には、「証券業」が大きく関わっていた。創業社長 大井 治は1946年、この地に大井証券を創業。同社は、その後名称が和光証券となり、さらに新日本証券と合併し新光証券と社名を変更したが、長年にわたって業界の発展を支えてきた関西を代表する証券会社であった。
父は1967年大井証券を辞任し、この地にギャラリーをオープンした。私にとって父親の存在は大きかったが、大学卒業後は「証券業はリスクが大きい」ので、住友銀行に入行し、大阪駅前から天満、名古屋、福島、天六など各地の支店勤務を経る中で、ブラックマンデーに当り、「血は争えず」というわけか、株取引のプロとしての手腕を買われ、抜擢されて、子会社の外資系のSB投資顧問会社に取締役大阪支社長として再建の為出向した。
しかし、3年後1990年父親が死去。親族会議で、病弱だった兄たちに代わり、11人兄弟の四男坊がギャラリーのニ代目を継ぐことになった。
「4才のころから高校1年まで画塾に通っていたので、多少の絵心がありました。」従って美術業界入りに抵抗はなかった。
ただし、「10年で半人前、20年で一人前」といわれる業界だけに、取り扱う商品は自らが関心を持ち少し得意とする分野の日本人画家による洋画に限定。仕入れ、管理を担当する大井綜合美術、販売のギャラリー大井、不動産の賃貸事業会社キリンの3社体制を確立させる。
「今や絵画の価値は、バブルのころの5分の1ほど。美術商の半分ぐらいは赤字」しかしながら一人でもやれるフランクな仕事なので愉快で有る。現在は老若男女を問わず画家を育成するために、年6回以上、ギャラリーを提供して個展、グループ展、全員発表会等々を開催し、美術業界の明日に向かって布石を打つお手伝いをしています。さらに「むさし野の会(西村 龍介の門下生の集り)」、「真砂美塾(塾長 辻 真砂)」、「二元会(会長 嶋津 俊則)」、等の支援を通じて美術業界の発展に注力中です。